楽器はそこにあるだけで絵になる

音盤ジャケ絵三昧

previnstrauss.jpgアンドレ・プレヴィンがヴィーン・フィルと録音を始めてから、10年近くになるのだろうか。この指揮者は、あまり「全集」の類をつくるのは好きではないらしく、とくに近年では演奏会でも録音でも、専らいくつかの選ばれた曲を取り上げる傾向にあるような気がする。
ただ、テラークにはじまって、現在はDGで進行中のR・シュトラウス管弦楽作品の集中録音はよく続いている。その新譜として、4曲からなる管楽器協奏曲集が出た。ジャケットにはホルンとオーボエの写真。これが美しい。もちろん演奏はヴィーン・フィルの若手/ベテラン入り乱れての名演で、シュトラウス珠玉の作品を再現してくれるが、ここではジャケ絵の話。
もともと、編集者はこのテのジャケ絵ってとくに好きじゃない。何となく正攻法過ぎてひねりが無いような気がするのである。ただ今回は、ジャケ絵(というか写真だからジャケ写か)があまりにもきれいなこと、そして何より、収められている作品が大好きという理由から(^_^;)採用してしまう。良い楽器って、ただそこにあるだけで絵になるものなのだ。
もう20年前くらいのことだと思う。フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル(略してPJBE)という英国の金管アンサンブルがあって、当時トロンボーンなどを吹いていた編集者や、その仲間にとってPJBEは何よりもアコガレの対象だった。出るレコードを端から(仲間と交代で)買っては聴いた。来日公演に出かけては、リハーサルにもぐり込んだ。開演前に、メンバーが新宿厚生年金会館の向かいの中華料理屋で食事しているところへ飛び込んでサインをねだる、といったはた迷惑な高校生だったのである。
彼らのレコードに、金管楽器を集めて並べただけのジャケ絵があって(”Brass for Modern”だったかな)、これがカッコ良かった。青地のベルベットか何かの上に、トランペットやトロンボーンの輝きがきれいに映えて美しいのだ。それに金管って、ピストンやバルブのメカニズムが何だか不思議な雰囲気をつくり出す。優雅な曲線があまり機械臭くないしね。
毎年高校の体育館で吹奏楽の定期演奏会を持っていたわれわれは、そのライブをいわゆる自主制作盤にしていた。ある年そのレコードのジャケットデザインを担当した編集者は、このPJBEのジャケ絵をパクった(^_^;)。仲間の楽器を集め、写真部のやつを呼んできて撮影して貰った。カメラはPentaxの6×7だったと思う。この写真に自作のタイポグラフィをレイアウトして、マスターテープと一緒に東芝EMIへ持ち込んだのだ(東芝EMIさんは当時、たかだか200枚足らずの小ロット自主制作盤を、嫌な顔ひとつせずつくって下さった。たいへん感謝している)。デザイン室のIさんが素人のタイポグラフィを丁寧に書き直して下さり、色校が出たときわれわれは狂喜したものだ。
しかし、しばらく眺めているうちに大失敗に気がついた。トロンボーンのベル(朝顔とも呼ばれる、開いているところ)に、カメラマンが映り込んでいるのである。ご丁寧に側で見ている編集者をはじめ野次馬数名も一緒にだ。うーむ.... というわけで、編集者が唯一つくったジャケ絵は、デザインコンセプトはパクリ、写真は失敗という有り様で、とてもこのようなコーナーでエッセイを書いている場合ではないのである。
このような経験があることから、楽器の写真を用いたジャケ絵をみると、つい何か映り込んでいないか、とアラを探してしまう。しかしさすがに、プロの手になるジャケ絵でそんな失敗をみたことはない。当たり前か。

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